いろいろ南京絡みの話を読んでいて

ああいうエントリーを書いた手前,正月から南京関係の文章をいろいろと読んだ.こんなに時間を投下するなら薦められてる新書を買ったほうが有意義だったかもしれない.
でまあ,ともかく感想を言えば,反否定派の知識の膨大さとそれを維持しようとする努力に胸を打たれた.

ただ,あのエントリーを書く前から思っていた疑問がやはり消えない.反否定派の人たちの文章から真実を追究する真摯な姿勢はびしびし伝わってくる.そして,あの戦争やその他をおこした人たちへの怒りもびしびし伝わってくる.でも,不思議と苦悩が伝わってこない.そりゃ,歴史家としての苦悩は若干伝わってくるけど.
今否定派の活動をしている人間への怒りは存在するだろうし理解できる,でも,そもそも過去の日本人への怒りと言うのが存在しうるのだろうか?(怒りを表明した瞬間に,その対象が自分であることに苦悩するのではないのか?)

1980年代に生まれた自分の感覚からすれば,天皇は微笑みながら手を振っているだけの人で,個人としては尊敬するけど,「天皇」と言う存在への尊敬は生まれようがない.靖国にしたって死んだら靖国に行くと言われれば死んだら何もないだろと答える.ひもじいかと言われれば,他のどの国に生まれるよりも豊かなほうだと思うよと答える.戦前の人々が書いた文章よりも英語の方がはるかに読みやすいと答える.
対外的には戦前と戦後で連続していても,高度成長を経て,さらに違う教育を受けた人間にとっては,70年前と思えないほどに戦前の人々の心境は遠い.その遠い人たちが犯した罪を真摯に反省しろと言う.その距離にデマゴーグが入り込む最初の隙があるのだろう.

あと,歴史的視点と反省ってあまり相性が良くない気がするんだけど,それはどうなんだろう(歴史的事実を否定して回るのはそれ以前の問題).歴史的視点によって戦争や残虐行為の原因が明らかになったとして,それを強調するのは責任をその原因に押し付けていると,言い訳をしていると(他の人から)思われないんだろうか.