人権のバックボーンを社会構造に取るのは妥当だと思うけど

http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20080904/1220542186
ブクマにも書いたけど,人権思想というのが世界に広がっていったのは国民がもつ潜在的な軍事力だというのは多分正しいと思う.けど,それが正しいとするならば戦争のあり方が変わってしまったときに人権思想は今のままでいられるのだろうか疑問に思う.

というか,人権思想が常識になってから戦争の様態というのは何度かかわっている.最初のときは個々人がライフルを持つのが潜在的な軍事力だった.だから,基本的に選挙権は成人男性のみ.だって,女性はライフルもって戦場に出れないからね.
WW1を経て,潜在的な軍事力の意味が兵士の頭数ではなく経済力とか生産力といったほうにスライドした.wikipediaで検索してみたけど男女普通選挙が成立したのはWW1以後だから,この発想はそんなに間違ってないと思う.でも,人の存在に直接的な価値があることはWW2が終わっても変わらない.

翻って今,人の存在に直接的な価値があるだろうか?経済的な意味では非常に厳しいんじゃないかと思う.そこら辺の義務教育を受けたホームレスを訓練してどれくらいの経済的な価値が発生できると保障できるだろうか?たぶん保障できるのは中国にあるEMSの工場の工員くらいの付加価値でしかない.これじゃ日本では暮らせない.手を動かす仕事が利益を生まないなら,頭を動かせばいい?でも,訓練して簡単に身につくような頭脳労働の大半はいまやコンピューターにやらせたほうが速い.結局,日本人の平均的な生産性が高いのは,お金が働いているか,機械が働いているかでしかなくて,日本人それ自体が手を動かして利益を作ってるわけじゃない.その状況で人権思想を担保できるような力を市民は保持できるんだろうか?

たぶん,軍事力は経済力よりはだいぶましで,人の存在に直接的な価値を見出せるような機会はまだ多い.でも,ブラックホークダウンで町全体が敵という絶対的に有利な状況を作ったのに,米兵20人殺すのに民兵1000人が必要だったりしたことを考えると,WW1で潜在的な力が士気の高い兵員の頭数から経済力にシフトした流れはそのまま現代に続いていて,状況はもっとひどくなってるといわざるを得ない.生産の大半がロボットで行われるように,戦争の大半がロボットで行われるようになったら,軍事力でも人権は担保できなくなる.

ロボット兵は極端だとしても,すごく少数の頭脳と機械で利益の大半が生み出せて,その利益でしか軍事力が維持できないとすると市民の権利は維持できるんだろうか?個々人にそのすごく少数の頭脳を生むための培養槽としての価値しかないのだとするならば20歳とか30歳とかまでの人権しか保障されないような世界しか均衡として成立しなくなるということになるんじゃないだろうか.